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高い山ではありませんが(標高321m)、仙台市内のみならず遠くから見てもそれとわかるまさに仙台のシンボル的な山です。
小四郎の住んでいる仙台市太白区の区名もこの山から名付けられました。 太白山の名前の由来は太白星(金星)が落ちたところから太白山の名前が付いたとのことです。
この山は生出森、オトア森、オドガ森、独活ヶ森など数々の名前で親しまれております。 また名取市の方から見るとさらにきれいな形に見えるということで名取富士の名前もあるようです。
昔は多賀城と出羽の国を結ぶ交通の要衝であったということで、山中に砦や寺があったとも伝えられております。また怪しい山に付き物の巨人伝説も残されているのです。
太白山(生出森:おどがもり)の話
昔、生出(おいで 現太白区茂庭)に「おとわ」というとってもめんこい(かわいい)娘こが住んでいたと。
ある晩、おとわがおしっこに起きて、家の外で用を足していると地鳴りがしてきたんだと。
「なんだべ」とあたりを見まわすと、目の前の森がむくっむくっと盛り上がっていたと。
「何して、むくむくっておがる(育つ)んだべ」と見ていると、さっぱり休まないで、むくっむくっと盛り上がり、とんがり山になっていくんだ。
「あれえ、気味悪いごだあ」おとわは、大きな声でさけんだと。
すると、不思議なことがあるもんだ。 むくっむくっとおがりつづけていたのが、ぴたっと止まって、それっきりおがりこじけてしまったと。
このことを聞いた人たちは、「もしも、おとわに見られなかったら、富士山よりもずーっと高い山になったんだべなあ」とくやしがり、「オトアモリ」とよんだそうだ。 そんで、今でも「オドガモリ(生出森)」というおとしよりがいるんだと。
この山の頂上は、ごろごろした岩石で、むかし大男が腰掛けたという大きな一枚岩がある。
大男は、この大岩に腰を下ろし、右足を名取市高館の吉田の田んぼに入れ、手を太平洋にのばして、魚や貝をとって食っていたんだと。
大男は時々村に出てきて、お百姓さんの仕事を助け、秋の忙しい稲あげのときなどは、何百人分もの稲束をはこんでくれたそうだ。

仙台の街の向こうに見えるとんがり山が太白山(AERより撮影)
お山自慢
あるとき、将軍様の前で南部(盛岡)、津軽(弘前)、佐竹(秋田)、伊達(仙台)の殿様方のお国自慢が始まったと。
まず南部公が、「私の城の真西に見える岩手山は、南部富士といわれるほど美しく、国のどこからも見える山でござる」というと、じょっぱり(まけずぎらい)の津軽公が、「私の国にも津軽富士と呼ぶ岩木山がござる。その頂上に立てば、エゾまで見えます。海の向こうのエゾが見えるんだから、南部富士は目の下というわけですなあ」と、ひげをなであげたと。
すると佐竹公が「津軽富士の岩木山はエゾまでしか見えませぬか。私の出羽富士鳥海山は、エゾばかりかオロシャ(ロシア)までも見えますぞ。津軽公も江戸に来るとき、高く大きい出羽富士をごらんになられたはずじゃ」と津軽公をたしなめたと。
だまって自慢話をきいておられた伊達政宗公は、にこにこ笑いながら、「私の国にはみなさんのような伊達富士とよぶ大きな山はござらぬ。だが、青葉城の真西におもしろい形の山がござる。海のどこからも見えるので漁船の目印となり、山の色や山にかかる雲のようすで農民の仕事運びのめあてになるそうじゃ。エゾやオロシャは見えぬが、領民ぜんぶに親しまれ、頼りにされているこの山が伊達藩自慢の山でござる」と静かに話されたと。
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